たましいの洗い場

中塩博斗のブログです。

うん?

 甘えたことをしている時代でもない、特に24歳であって、僕は頭が良くない、だからこそ、身体を大きく拡張したい。拡張したい、例えば、センスのある奴とか、いるだろう、それには負けるよ、しかしそれは脳味噌の話で、要するに身体の拡張というのは、自らの意見で、こうあれねばならぬという強い意見によって、例えば腕とか足腰の筋肉を、そういう意見によって鍛えるということであって、そういうものが、30、40代において必要とされる自力であると思う。僕は今年25歳なんだが、20代の眩しさみたいなものを信じてる、それは10代の悲惨なまでの痛々しさと同じように、だけど、30代って、僕の中で、そうはいかない。いやまあ、もちろん30歳ともなってみれば、僕が20歳になった時と全く同じように、諦め(じゃぁないんだが.、)みたいな希みを見出すだろうと、思う、だがそんなことは既に想定されているんであって、俺は長生きがしたいという前提のもとでインスタントなプレジャーは出来るだけ享受しないという理想を、今ここに強く掲げてやっても、恥ずかしくは無いという、そういうつもりでこれからも生きていこうと思う。だから宜しく。

人間ドック体験

 酒やたばこをヤるとはいえど、程度はたかが知れたものだし、なんと言ったってまだまだ若いのだから、とは思う。しかしまあ、高校三年生以来健康診断の類は受けてこなかった身として、自らの身体について少し興味がわいてきていたのだ。というわけで本日、朝も早よから渋谷区の日赤医療センターに出向いて肉体の点検に挑んできた次第である。

 早速受付をしたわけだが、同じく人間ドックを受ける同志たちと自分を見比べて、明らかに僕一人が頭二つ分くらい抜けて若かった。もちろん20代でこの検査を受けるのがなかなか稀であるという情報は事前に仕入れていたのだが、ロッカーで検査衣に着替えるジイ様の蒼白い肌を目の当たりにして、己の場違い感から怖気付いてしまい、以降ソワソワし続けることとなる。

 まずは身長を測った。実は高三の頃は177.5cm程度だったのだが、178、178.5と何故か次第に自称長が伸びており、今では179と言い張っていたのだが、測定してみるとなんと実際に179.0cmであった。これには非常に安心した。滑り出しは好調。

 それから視力(右1.0 左0.8)、眼底・眼圧、採血、内科検診、聴力、腹部エコー(若干変な気が起きかけた)、胸部X線をそつなくこなし、また事前に難関だと教えられていた胃のバリウム検査も、バリウムを飲む前に飲んだ無限ゲップパウダーのような粉が反吐のような酸っぱい味がしてひどい二日酔いのひと時を思い出した程度で済んだ。

 全検査が終了し、午後に結果を簡易的に知らせてくれるというので、もらった1200円分のチケットでなんたらカレーやカツサンドなどをたらふく食らったのち、3時間ほど猛暑の表参道をほっつき歩いたりして暇を潰した。結果としてはほぼ問題が無いらしく、あらゆる項目にSの文字が並んでいたのが誇らしかった。ただ尿酸値のみ8.5と基準値を上回っており、「ビールやラーメンの汁など、できるだけ控えてみてくださいね。まだ若いから大丈夫でしょうけど、あはは…」と医者に言われた。何だか、若さという奇妙なお面を被って生きているような気分だった。何かを喋ろうとして、知っているのに「尿酸値って、高いとどんなリスクが…」と発話した。「痛風って、知ってます?あの、足指とかが痛い…でもまだ若いから…」。あはは…と笑い合って僕は帰った。僕は若い。事実、肉体は若かった!

妄想のフリマ

とき

・6月末の湿っぽい曇りの日。午前11時ごろ。

 

ところ

・八王子市の東端付近。大栗川河川敷。

 

品物

・中1の時に買ったラノベ 1巻50円

・服 1着300円

・人生で初めて買ったCD 1000円

・免許証 5万円

・ジュース 1本170円

 

経過

・開始20分ごろ、婆さんが通りかかり、「楽しそうねえ」と言われる。

・開始35分ごろ、B-boy風の二人組にいじられ、はにかむ。

・するとにわかに大粒の雨が降り出し、品物を風呂敷で包み持ち帰ろうと歩き出すが、何もかもが嫌になり風呂敷ごと川へ投げ込む。20秒後川に入り全て拾い集める。その際に水中の石で足を捻って負傷。片足を引きずりながら帰宅。

幸福について

 ゾワゾワするほどエナジーに満たされているときとそうでないときが、2週間くらいの短い周期で繰り返されていて、その波は遠くから見るとじんわり右肩下がりになっている。要するに周期を繰り返すごとにゆっくりと幸福の閾値から遠ざかり、不幸の閾値の方に近づいて最終的にはすっぽり飲み込まれてしまいそうな予感がする。それとは別に、僕のもつ全てがどんどん俗物になってきている実感がある。つまり魂が腐ってきている。美しく生きたいとは常々言っているけれど、そんな力と資格が僕にはあるのだろうか?

 いま僕が求めるのは、(酒無しに)高揚した気分と、生牡蠣のようにぷるっぷるの魂と、大量の糖質だ。血糖値をガツンと上げて、幸せになることが必要なんだ。美味しいカロリーを身体に詰め込むために僕はお金を稼ぐんだ。ほんとにそう思う。だからバイトをしているんだ。人間の脳みそっていうのはちっぽけな化学物質で簡単にその姿を変えることを、僕は知っている。僕に言わせれば幸福は、ある立場からしたら本当に見当違いに見えるような方法で叶えられることがあるし、各々が好きな形で好き勝手に求めるべきものなんである。

なんか疲れた

 ついこの間、汐千博のCDを作る材料を買いにダイソーに行ったんですけど、なんか疲れましたね。というのもそこが僕の地元である少し田舎っぽいところのダイソーで、それもお昼頃に行ったんで、子連れの母親達が大量にいたわけなんです。僕にとって世の大半の母親って妙にせかせかしてる感じがするんですよね。例えば、そのダイソーがピューロランドに近いんですけど、僕が車を近くの駐車場に停めて歩いていたらピューロランドに向かってる母と子をちょうど見かけて、その子は子なりの速度で歩いていたんですが、その母が「もっと急ぎなさい」というふうに急かしていたんです。なんだかうんざりしてしまいましたね。僕は母親が子供を急かしているのを見るのが一番苦手なんですよ。

 そのまま落ち込みながらダイソーに到着したんですが、やはり店内にも母と子が20組くらいいて(結構広いダイソーなんです)、また嫌なものを見せられるんじゃないかとビクビクしておりました。紙とジップロックを探してうろついていたら何となく違和感を覚えるわけです。最初はどうとも思わなかったのですが、よくよく観察してみると、僕が近づくと母親たちが目を背けて子供の背中に手をやったりなんかしてるようなんです。私が守るわと言わんばかりに。はあ。まあ、平日の昼間に微長髪の男性が近くをふらついていたら少し怖いのかもしれませんよね。ヒゲも伸びてたし。僕だってそんなことはわかってるから、出来るだけ柔らかい表情で商品棚を凝視していかにも周りのあなた方のことは目に入ってませんよというふうに見せる努力だってしてたのに、露骨に避けるような態度を取るなんてあんまりだよなあ。オモコロチャンネルの「なんか疲れる一日」の動画を見てこのことを思い出しました。